慶應義塾大学の「食事支援」、その内容に批判

慶應義塾大学が学生向けの食事支援を打ち出すことを発表した。しかしその内容が「男性差別・男子学生差別」だと批判を呼んでいる。

一連の顛末を、『週刊女性』web版2024年4月16日配信『なんで男女差16倍? 慶應大がワタミと組んだ『学生の食事支援』が差別と炎上、ワタミ広報が答えた“意図”』が記事にしている。

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経過

2024年4月5日、慶應義塾大学は「ワタミ」の協力を得て、同大学に入学した一人暮らしの学生向けに「ワタミの宅食」を配布することを発表した。

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これだけでは、一見すると、学生の経済負担の重さに対応した取り組みにも見えないことはない。

しかしながら、対象となる学生の扱いが、とんでもない男性差別だと炎上しているという顛末。

男性差別?

対象者はまず、「(大学のある)関東地方以外の出身で、一人暮らしを始める女子学生」に限定する。

その後に男女問わず「生活困窮学生」への支援もおこなうともしているが、女子学生への支援と比較して対象人数も食事配布回数も著しく少なくなっている。

このことで、支援対象の設定が不可解だ、これでは生活に困窮している男子学生への男性差別だという疑問が湧き上がっている。ツイッター(現・X)上では強い批判が出され、学生有志を名乗るアカウントからは「大学に抗議の申し入れをした」という報告も上がっている。

生理用品など女性特有の支出に関して補助をおこなうというというコンセプトならば、理解できる。

その一方で、食事については男女を問わないものである。また、高学費や生活費の負担、またそれに伴う生活困窮は、性別を問わずに、学生やその家族にとって深刻な問題にもなっている。

にもかかわらず、生活の困窮具合ではなく、女性だから対象にする・男性というだけで外されるという別の軸になると、これでは男性差別・ジェンダー差別ということになってしまう。

ジェンダー平等の視点からはどうなのか

ジェンダー平等というのは、性別にかかわらず自分らしく生きられること、また性別によって不利益を受けないようにしていくことが肝要である。

しかし一部には、そういう概念ではなく、「女性を女性というだけで守れ・下駄を履かせろ。男性にはどんな不利益を与えても当然。それに苦言や抗議を出すのはそれ自体が女性差別だとばかりに攻撃する」とばかりの、おかしな方向に進んでいるような風潮も、一部に見受けられる。

そういうのは、ジェンダー平等のコンセプトとは著しく逸脱しているのではないかという疑問を感じる。